「名誉ある戦後」か「屈辱の戦後」か
2014-06-09


去年は96条を変えて憲法を変えやすくしようとし、それが面倒だと見ると、NSC法と秘密保護法を先に通し、「集団的自衛権」行使の土塁固めをして、今度は閣議決定だけで「解釈改憲」をしようとしている。そして連立与党公明党の抵抗を受けると、もう文言はどうでもいい(「集団的自衛権」を明示的に認めなくてもよい)、この場合はいいよね、といった主旨合意だけでもいい、と言い出しているようだ。 
 
 要するに、安倍の目指すのはただひとつ、日米安保を逆手にとって(「集団的自衛権」を口実に)事実上自衛隊を軍隊化し、戦後憲法によって失ったとされる軍事力を取り戻すということだ。軍事力をもたない(奪われた)国家としての日本の戦後が「屈辱のレジーム」だと彼は言う。それを是が非でも変えたいというのが安倍の執念のよって来るところだ。
 
 だからこの問題は、詰まるところ「戦後」をどう評価するかということにかかっている。あるいはアジア太平洋戦争をどう評価するかということに。この戦争を押し進めた連中(とその後継者たち)は、敗戦の責任をすり抜けて戦後を「屈辱」のうちに生き延びてきたのだ。一方、戦争から解放された国民は、戦争をしないことで努力を他に振り向け、戦後の復興と繁栄を支えてきた。そして戦争しない国、他国に軍隊を出して国土を蹂躙したり殺したりしない国として、国際社会に無二の信用と地位を確保してきた(こんな国は他にはない)。それを二十世紀以後の世界戦争と大量破壊兵器の時代に、貴重な「実績」と見るか、あるいは「屈辱」と見るか、その二つの考え方がいま決着を求めて鬩ぎ合っていると言ってもよい。ただし一方は政権にあり、他方はもじどおり「弾」をもたない。

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