安倍政権はどう最悪なのか?「粛々と」憲法無視
2015-04-18


現下の安倍政権が最悪であるのは、「戦後レジーム」の解消を目ざして国の軍事化を進めているからではない。

 安倍等の考えとは違って「戦後レジーム」とはじつは、戦前からの勢力が日米安保条約のもとに「対米従属」を不動の条件として統治する体制のことであり、それは冷戦を超えて更新され、今日まで続いている。たしかにそこから脱却しないかぎり日本の「戦後」に終わりはないが(永続的隷従?)、現政権がこれまでのどの政権とも違って「悪質」の底板を踏み抜いているのは、目的追及のためのその手法にある。

 戦闘に参加することを「積極的平和主義」と呼び、なし崩しにあらゆる制約を撤廃することを「切れ目のない安全保障」と言い換える、電通ながれの「口先三寸」手法のことではない。安倍政権が最悪なのは、憲法を無視した方針を採っても、憲法に反する法律を作っても、それを妨げる制度的仕組みはこの国にはないということに気付き、「柵越え」を抜けぬけとやっている点にある。

 そのことを彼らは「粛々と」と言う(この表現は伊達ではない)。行政府はその気になれば憲法を無視できる、空文化できるということを、文字どおり実践するそのさまを「粛々と」と表現しているのだ。カール・シュミットは法の支配が中断される「例外状態」を語ったが、そんな宣言をしなくとも、黙っていてもできる、それが行政府の力なのだということを、この政権は地で行っている。
 
 特定秘密保護法は、基本的人権を謳い行政府の専横を戒めた憲法に違反している。集団的自衛権容認も明らかに憲法違反である(だから歴代政権も、中曽根、小泉を含めてここには踏み込めなかった)。そしてこれを実質化するためいま準備されている安保諸法制も当然憲法違反になる。
 
 四年後の今日も事故の現況さえつかめない(溶け落ちた核燃料がどうなっているのかも不明で、汚染水がどう洩れているのかも分からない)フクシマの核事故への対応はなおざりにし、「笑う人には放射能は来ない」と公言する専門医に被災地の診断指導を任せ、許容被曝の限度を嵩上げして住民の帰還を促し、メディアだけを「コントロール下」においてフクシマから目を背けさせ、東京オリンピックでそれを忘れさせるばかりか、懲りずに核発電の再稼働を進め、あげくに核プラントの輸出に血道をあげるのも、国民の生存権を蔑ろにしたものだ。

 秘密条項で国民の資産や食の安全を明けわたすTPPももちろん憲法違反だ。
 
 そうして、沖縄の度重なる民意の表明を「粛々と」押し潰して辺野古の新基地建設を進めるこの政権は、すでにこの国には憲法などないかのように(いや、あっても都合のよいときだけ利用する「積極的平和主義」のお飾り)振舞っている。

 さらに最近では露骨にメディアに圧力をかけ(もはやそのことを隠さない)、情報統制を政権の権利であるかのように行なっている。これはNHK会長や内閣法制局長の首のすげ替えで、「できる」と味を占めたのだ。その前には日銀総裁の「白から黒への」すげ替えもやった。その「無理筋」がすべて通っている。行政権は何でもできる(だから、次は時に政権に盾を衝く司法がねらわれる)。

 さすがにここまで無法を平気で押し通した内閣は前例がない。その憲法無視を支えているのは、国会を圧倒的に制した自民・公明の巨大与党の議席である(公明党はこれまで全部を呑んで、違憲路線を突っ走る安倍自民党にくっついており、創価学会・公明党にはもはや連立を離脱するといった判断力はなくなっているようだ――ただし沖縄の公明党は別だが)。このままでは、後の歴史は(それが残っているとして)現在の状況に関して「それでも日本人は"戦争"を選んだ」(加藤陽子)と書くことになるだろう。
 

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