ルジャンドル再訪(1)モナスティールでの出会い
2023-05-26


*雑誌『思想』(岩波書店)でピエール・ルジャンドル追悼号が出た(第1190号、2023年6月号)。だが、紙数にも制約があり、ルジャンドルのテクスト翻訳や多くの若い論者に場所を譲るべく、この機会にまとめた私の私的な手記はここに掲載することにした。というわけで、以下は、『思想』追悼号の「余白に」ということで――

 知が情報商品と化して久しく、売れるものがよいもの、という判定のもとに淘汰されるか、あるいはますますせばまる市場のなかでほとんど場をもてないのが…
 そのピエール・ルジャンドルも九十歳を超え、その仕事に触発されてきた数少ない有志が、それぞれの仕事の足場からもう一度ルジャンドルのもたらしたものを再提示しようと、ドイツの文学者カトリン・ベッカーとフランスの社会学者ピエール・ミュソを編者とする論集『ピエール・ルジャンドルの仕事への導入』をようやく出版したのが今年の二月だった。同じ思いのもとで、この論集に協力した私は、日本でもルジャンドルの重要な業績と現代の思想にとっての貢献を再提示する必要があると考え、本誌『思想』で特集号を組むことを提案し、去年の冬から準備にはいっていた。
 そしてフランス語の『導入』の見本が手元に届いたころ、ルジャンドル危篤の報せが入り、パリのさる緩和病棟でこの三月二日、ドグマ人類学の異貌の泰斗はとうとう帰らぬ人となった。二〇二一年にすでに『日の終りのひとつ手前』という回想録をまとめ、コロナ禍の日々をフラン・ブルジョワ街の書斎兼自宅に伴侶とともに籠って、徐々に衰弱していったらしいルジャンドルは、三カ月ばかりの入院の果てに、表立った苦痛もなく静かな最期を迎えたという。そんなわけで本誌の特集号ははからずも追悼号の意味を担うことにもなった。

 一九九一年の四月から翌年三月にかけて、勤めていた大学から初めて研究休暇というものをもらってパリで過ごしたが、その滞在も残りの月数が気になり出したころ、縁あって知己となったピエール・バイヤール(パリ第八大学で精神分析批評を講じていた『読んでない本について堂々と語る方法』の著者)が、お前に合わせたい友人がいる、精神分析仲間のチュニジア人だと言う。それはいい、引き合わせてくれ言うと、ちょっと待て、お前は湾岸戦争についてどう思っているか、と尋ねるので、あれはアメリカが一強世界秩序を敷いて西洋的支配を継続するという軍事的意志表示だ、と言うと、オーケー、じゃ今度連れてくるということになった。
 そこでやってきたのがフェティ・ベンスラマだった。すぐに気さくに何でも話せる闊達なチュニジア人で、関心もいろいろ重なっており、話は尽きなかった。何より二人でお互いに強く納得したのは、知の伝搬・拡散の歴史地理的な構造についてだった。大学などでさまざまな国からきた学者たちと話していてもあまり気にならなかったことだが、差向いで話して如実に感じ取ったことがある。マグレブ(北アフリカ、西アラブ)出身のベンスラマと、アジアの東端の島国から来たわたしとが、ほとんど同じようなものを読み、似たような知的遍歴を経て、ここパリでランボーを語り、ドストエフスキーを語り、フロイトと精神分析について語り、バタイユやレヴィナス、それにハイデガーを語っているのだ。

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