2020年、「楽園」キューバをめぐるリアルなファンタズム
2021-01-31


15年ほど前、『ダーウインの悪夢』というアフリカに取材したドキュメンタリーで「グローバル化の奈落の夢」(同題で記録集あり、せりか書房)を映し出したオーストリア出身の映像作家フーベルト・ザウパーが、去年5年後しの新作を完成させたという。現代キューバに取材した『EPICENTRO』(エピセンター、2020年)。縁あって見せてもらい、思うところあって書いてみたくなった。
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 ソ連崩壊・グローバル化から30年、指導者フィデル・カストロも時の流れに霞と消え、合州国の封鎖を受けるこの孤塁にもグローバル化の波は押し寄せて、年を経た堤防も年々侵蝕されてゆくようだ。そしてオバマ政権の末期、半世紀にわたってこの島国を守ってきた呪縛の結界は解かれるかに見えた。
 
 二十世紀の世界史的な「革命」の最後の残滓として、グローバル化の波頭に抗って孤塁を守ってきたキューバ、アメリカの喉元にあるためつねに脅かされる(フロリダからの「奪回」運動、60回にも及ぶカストロ暗殺計画、歴代アメリカ政権の外交圧力)だけでなく、徹底的な経済封鎖(市民・民衆人質の兵糧攻め)を受け、北朝鮮とともにグローバル世界の「異物」として締め出されてきた小国、そこで現地の人びとは「現代世界」をどう生きているのか? そこを「終末」の「エピセンター(震央)」と見て、『ダーウインの悪夢』のシネアスト・フーベルト・ザウパーはハバナの下町に入り込んだ。そして「楽園」に生活する人びとを撮影する。
 
 ここには、前作のように、「グローバル化の奈落」の構造を浮かび上がらせるような素材(ビクトリア湖の生態系に生活を左右される人びと、ナイルパーチを資源とするグローバル食品企業、冷戦後の見えない戦場と輸送機乗りたち、その世界の澱んだ湖底で明日を夢見る若いセックス・ワーカー…)はない。アメリカはあまりに巨大で規範(標準)的に世界を覆い、その影の下で生きる人びとが「構造」や「力学」を浮かび上がらせるには、キューバの人びとはあまりに小さく果敢なく希薄にみえる。その自己主張が世界にまで届くことはない。
 
 しかし、ザウパーは気づいた。この島がスペインの植民地支配から「解放」されて「独立」の条件を得たのは、シネマトグラフィーの発明と同時代だった、と。映画はイマジネーションを物質化し、というより生きられるもうひとつの「現実」とし、人が生きる「リアル」を二重化も三重化もする。それは製作されるフェイクの「現実」でもある。
 
 この島はアメリカ合州国の最初の海外進出、米西戦争によって「解放」された。しかしその戦争は、キューバ民衆のためになされたのではなく、合州国が「アメリカ」からスペイン老帝国を追い出し、その領地を自らの手(富を吸収する自由市場)に「解放」するための行動だった。その「でっち上げ(フェイク)」を象徴するのが、開戦の口実となった「メイン号事件」である。「リメンバー・メイン!」、その合言葉で内向きの世論は一転、セオドア・ルーズベルトの戦争を支持し、フロンティアの消滅で仕事のなくなった騎兵隊を再編した海兵隊は、勇躍「新しい前線」の任務に就くようになった。
 

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